世界遺産の落書きに見る世界の価値観の違い
世界遺産の落書きに見る世界の価値観の違い
カトマンズの谷
どうやら世界遺産に対する価値観というのは、全世界共通ではないようです。
世界遺産に落書きが見つかるたびに色々な場で討論されますが、その認識は国によって、人によって様々なものです。
我々日本人の大半は、世界遺産を大変魅力的で厳かな場所や物だといった意識が高いためか、数年前にイタリア・フィレンツェにある大聖堂サンタ・マリア・デル・フィオーレに日本の学生らが落書きをしたというニュースが流れたときなど、それはそれは憤慨して、「やれ、日本の恥だ!」とか、「名前を公開しろ」などと口々に罵ったわけです。
結局、落書きした学生達は停学処分になり、野球部監督にいたっては解任と言う厳罰処分になってしまいました。
しかし、日本で世界遺産への落書きが大きなニュースとなっていたとき、被害者国であるイタリアでは少し困惑状態だったと聞き、我々日本人も大いに困惑したものです。
街のいたるところにある落書きが、当たり前の景色となっているイタリアでは、「落書きしたくらいで厳罰処分するのはやりすぎだ」「日本のマスコミは大騒ぎしすぎ」などという意見がほとんどでした。
確かにイタリアだけでなくアメリカやヨーロッパの国々では、どこへ行っても地下鉄・ビルの壁・高架下などカラフルな落書きが目につきます。
中には落書きというより、もはやアートと呼びたくなるものもあるのが事実です。
しかし、長い歴史を培ってきた貴重な世界遺産に落書きをするのは、決して素晴らしいことではありません。
お国柄は違えど、我々地球に生きるものは世界遺産を保護し、後世に残していく義務があるのです。
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